東京都江戸川区 西一之江中辻町会

西 一 之 江 の 由 来

東京都江戸川区 西一之江中辻町会
江戸川区西一之江中辻町会旗

 西一之江の地名が最初に古文書に現れたのは室町時代であるが、西一之江が村落
を形成し、帳簿に明記されたのが慶安2年(1649年~)の武蔵田園簿である。田園簿と
は検地帳のことで土地を正確に測量し、生産力を確実につかみ、租税を徴収する基準
を確立したものである。当時は農業により生計をたて、他に多少の舟役で収入を得て
いた。西一之江村は幾つかの字地に区分され、文政11年には11区分されていました
が、明治5年に4区分多くなり字地(小名)中辻として記されている。これまでは耕
地を中心に小名が称されていたが庭の名をつけ集落を、大杉の庭、江上の庭、中辻の
庭、志茂の庭と呼称したもので、明治30年頃は大杉の庭35戸、江上の庭15戸、中辻
の庭28戸、志茂の庭75戸、志茂の庭の内訳は原が22戸、貞明が16戸、京塚18戸、
横町が19戸で、農業の他に梨や葡萄栽培が盛んでしたが大正6年10月1日の大津波
で被害を受け果物栽培は姿を消しましたが、その後徐々に米作が減り野菜作りが盛ん
になり、特産としてレンコン作りが盛んになり昭和40年頃まで蓮田が数多く見られ
ました。西一之江の歴史を語る上で切り離す事が出来ないのが台風や高波による洪水
や床上浸水等の水との戦いでしたが、現代では下水道等が整備され農地も宅地化が進
み住宅やマンションが建ち近代都市へと変貌しております。昭和23年に28戸で中辻
自治会として発足しましたが、戸数と所帯数では若干の違いがありますが、約700所
帯を数えるまでになり、西一之江中辻町会として現在に至っています。



会館の住所
   江戸川区西一之江3-31-22

 

 

 

 

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