荒川区 原町会

原 町 会 会 則

原町の沿革について

 町会名簿発刊にあたって、古老などの聞き伝えをたよりに原町の沿革のあらましを
記してみます。
その昔と云っても、明治の初年頃までは殆んど人家はなく、隅田川の水もきれいで、
新渡しと尾竹の渡しの間あたりでは非常にきれいな白魚がとれ、時の将軍の有名な献
上品の一つでもあったと聞いております。江戸幕府がなくなった今、今更御でもない
と云う事で、御の字がいつとはなしに尾久の尾、尾久の渡しの尾を取って尾竹となっ
たと聞いています。云うなれば御を尾に置き代えたと云う事です。
また、今では想像もつかないようなことですが、春になれば桜草の花が紅毛氈のよ
うに咲き乱れ、桜草の里とまで云われ、三々五々春を楽しむ人達が町から見えたとも
聞き伝えられておるほど長閑な川岸の里でありました。
明治の初期の頃からこの里にも人が住むようになりましたが、特に現在の三橋さん
の前に新渡しができ、さらには尾竹橋ができるまでは、下尾久方面から西新井方面に
行く人々の交通の便をなしたのです。わけても西新井大師の毎月21日の大師様の縁
日には、旧第六中学校前通りを通って大師に参詣する人々が厄除け開運のために小さ
なダルマのついた笹を手に手に持って往来し、原の里もひときわ賑ったものです。
その後、明治30年頃になってようやく人家も20軒位の集落となり、周辺の地域
の人々との交際もはじまったようです。この頃から住んでいた人々は、この地域が土
地の低い里であったことから大雨のたびごとに水禍と戦いながらこの里を守ってこ
られたわけですが、日清、日露の戦後になってようやく人家が増えてきました。
その後、大正2年、初めて今の町会の前身である原睦会が誕生し、防災、衛生等に
わたって自主的に会の運営が行われるようになったのであります。また、大正12年
の関東大震災後には、急激に人口も増え原町の発展のきざしが見えたのであります。
昭和7年、市郡合併によって、それまで東京府北豊島郡尾久町大字下尾久字原の地
名も東京市荒川区尾久町10丁目となったのを機会に町会名も尾久10丁目原睦会
と改め、その後、昭和15年、戦時態勢に入るにあたり各町会の整理統合が行われ、
尾久町10丁目町会と改められたのであります。
さらに昭和18年、物資統制等の関係で配給物資などの業務まで町会で担当するよ
うになり、1町会の世帯数があまり多くては何かと行政上の周知の徹底を欠くきらい
があることから、それまでの10丁目町会を東西に二分することになり、尾久10丁
目西町会となったのであります。
こうして終戦を迎えるとともに占領軍の命によって長年町の親睦と発展に寄与し
てきました町会は解散のやむなきに至ったのであります。特に、当地域は戦災によっ
て町の約半数に近い家が焼失しましたが、町の人達は、焼け出された人々も焼残った
人々も、町の復興と発展のために力と心を合わせあって頑張ったのであります。
それにしても町の擁護と発展をはかるためには、町全体の連絡と融和が必要である
ことから、町の有志がよりより話合った結果として、自主的に町の人々の連絡機関(町
会名を使うことは禁じられていました)のようなものをつくろうということになっ
て、町の人々に呼びかけ、徳岡由一郎氏を会長として赤十字第2班地域に尾久10丁
目西部文化協会(当町会の前名)が、昭和22年5月に他の町にさきがけて力強く誕
生したのであります。
こうした経過を経たのち、昭和27年に平和条約の締結により、天下晴れて10丁
目西町会と町会名を名乗ることができたのでありますが、昭和38年、住居表示によ
る町名変更にともない町名が町屋となったことから昭和44年11月1日、地域発祥
の由緒ある地名「原」の呼称を生かし、原町会と改称して今日に至ったのであります。

「和田記す」

原町会規約

第 1 条 本会は原町会と称す。
第 2 条 本会は町屋5丁目全域と6丁目の1部に居住又は、事業所、事務所を有
し、本会の目的に賛同するものが相寄り組織する。
第 3 条 本会の事務所は、会長宅に置く。
第 4 条 本会は隣人相助けて、私達会員の手で明るい住みよい「町造り」の建設
を目的とする。
第 5 条 本会は前条の目的を達成するために、次の事業を行う。
1.防犯、防火、交通安全、保健衛生、保善のためにする研修会、講演
会及び演芸会開催並びに施設見学会の実施
2.会員の慶弔、救護の実施、会員功労者の表彰、青少年の補導等
3.文化施設の実施、防災対策の奉仕的活動
4.その他本会の目的達成上必要な事項
第 6 条 本会に次の役員を置く。
1.会 長(1 名) 会長は総会に於て選任する
2.副会長(若干名) 副会長は会長の委嘱による
3.理 事(若干名) 理事は班長、会長、副会長合議の上会長之を委
嘱す(但し理事中より部長、副部長を選ぶ)
4.部 長、副部長(若干名) 理事の代表者とす
5.会 計(若干名) 会計、監査、総務は役員会にて決定し会長之を
委嘱す
6.監 査(若干名) 
7.婦人部委員は、理事会の推薦により会長之を委嘱する
8.班 長 班長は班員の互選による
但し、会長、副会長は班長を兼ねない
9.相談役、顧問(若干名) 必要あるときは理事会の決議により置く
本会役員の任期は2年とす。班長の任期を1年とする。
補欠者は前任者の残任期間とし任期満了後であっても後任者の決定ま
では尚その任にあるものとす。但し役員はその重任を妨げず。
第 7 条 本会の役員の事務分担を次の通りとす。
1.会長は本町会の会務を総理し、本会を代表する
2.副会長は会長を補佐し、会長事あるときは会長の職務を代行する
3.理事は本町会の会務の運営にあたる(庶務、会計、監査を含む)
4.班長は班員の合議を旨として班務を掌理し班を代表す。班員の合議
により副班長を置くことを得る
第 8 条 本会は次の会議を持つ
1.総 会 定時総会は毎年4月に開き予算案の審議及び決算の承認を
求める。必要により臨時総会を開くことを得る
総会は役員の(委任状)過半数の出席をもって成立する
2.理事会 理事以上をもって組織する
3.部長会 部長以上をもって組織する
4.班長会 班長以上をもって組織する
前各号の会議は議長を定め討議の上出席者の過半数を
もって議決し、可否同数の時は議長の決するところによる
5.班会議 各班毎に必要により時々集会し、隣保相助の為に懇談会を
開く
班長を座長とする
第 9 条 本会の会計年度は毎年4月1日に始まり翌年3月31日をもって終る。
第 10 条 本会の運営費は会員の会費及び篤志家の寄附その他による。
第 11 条 本会規約の変更は総会の決議による。

施 行 細 則

第 1 条 慶  弔
 会員及び家族が逝去されたときは香典を上げる。
 役員及び家族が逝去されたとき、香典及び生花を上げる
(ただし成人のみ、役員付き合いを集めこれをあてる)
 会員の子弟で小学校入学時には記念品を贈る。
 会員の家族で成人式を迎えたときは記念品を贈る。
 役員退職時は任期に応じ記念品を贈る。
 班長退任時に記念品を贈る。

 

附     則

会長は理事会に諮り協力委員を委嘱することができる。

昭和22年 5月  日  創立
昭和25年 4月 8日  会則全面改訂
昭和26年 6月 5日  一部変更
昭和27年 4月 8日  一部変更
昭和31年 4月22日  会名変更等一部変更
昭和32年 4月20日  一部変更
昭和34年 4月  日  一部変更
昭和44年11月 1日  会名変更等一部変更
昭和62年 5月 7日  一部変更
平成10年 4月 7日  一部変更
平成12年 6月 1日  一部追加
平成14年 4月 1日  一部追加
平成16年 4月10日  一部変更


 

 

 

 

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